エスビューローの原点にピア・ビリーブメントケアがあった!〜喪失家族からの発表を含めて〜

特定非営利活動法人 エスビューロー
じつは、平成17年度に3つの調査をしました。そのうちの一つがこの喪失家族アンケート調査です。平成17年ですから5年前ですが、調査はしたけれど何もその後活動につなげられなかったままになっていました。そしてどこかでしっかりやらないといけないという想いがこの5年間ずっとありました。

 アンケートの結果を少しだけ紹介させていただきますと、そのとき63名の喪失家族の方に配布させていただき、34人の人から回収させていただきました。回収率は54%とそんなに高くなかったのですが、その時のコメント欄にすごくいっぱい書いていただいた。何と15ページに及びます。いろいろなアンケートをやった中で、一番喪失の方々が、書いて下さった分量が多かったのです。そこで私どもとしても何とか機会を見てこれに答えを出していく試みに着手しないといけないなということを考えてきました。

図_x0020_47 昨日10周年ということで懇親会に参加していただいた方もおられるかもしれませんが、もともとエスビューローの設立のきっかけは、小児がんのため阪大病院で子どもを亡くした代表の安道と副代表の安井のピアなビリーブメントケアからエスビューローはスタートしていたんだ、ということがあらためて分かりました。

図_x0020_47 そういうことを踏まえて今日は喪失家族からのコメントと発表を含めてお伝えできればと思っています。まず、最初にアンケートの方を振り返ってみたいと思います。回答者の方の平均年齢は41歳。最初の質問は、お子さんを亡くされた前後から現在までの期間で、ストレスになった事柄にはどんなものがありますか?と複数回答可でおききしました。一番多かったのが「近所づきあい」という日常的なことなんですがこれが一番多くて50%の方がこれに〇をつけられています。それから「きょうだいの学校の行事」に出ることがすごく苦痛だという結果が出ています。3番目に多いのがわれわれも驚いたのですが「納骨のやり方」が上がってきました。同じような項目で、ずっと下を見てゆくと「葬儀のやり方」とか「法要のやり方」とかそういう一連のことに関してのストレスを感じているということが浮かび上がってきました。

そして「近所づきあい」と答えた人は例えばこんなコメントが書き添えてありました。「私だったら耐えられない、生きて行けないといわれた」「兄弟(姉妹)はお一人?などとよく聞かれること。何と答えるべきか。」というコメント。「たいして親しくもない人たちから買い物先などで「大丈夫・・・」と声を掛けられたこと」や「まだ若いのだから次(の子ども)をつくればいい、といわれたこと」が書かれていました。

それからきょうだいの学校の行事と答えた人も多かったんですが、「学校そのものが同じなので足が向かない。想いを共有できないお母様たちとの会話が苦痛でした。」「亡くなってすぐの授業参観。他の母親は下の子どもを連れてきているので、なぜ私だけ?という気持ちになりました。」「先生や友達の親の言動」というようなコメントが見られました。

図_x0020_47 それから先ほど申し上げた、納骨のやり方、葬儀のやり方、法要のやり方というしきたりに縛られていると申しますか、そういうような分野で非常にストレスが多いということも分かりました。ここに書かれているようなコメントが見られました。(読み上げは省略)

図_x0020_47 図_x0020_47 では次に、先ほどはどういうことがストレスを感じましたかということをお尋ねしたのですが、もうひとつアンケートでこういうものがありました。「喪失前後から現在までで助けになった人はどんな人ですか?」ということをお尋ねしたことがあります。その答えを見てみると、やっぱりと言いますか、「闘病仲間の親」というのが71%ということで非常に多かったです。その後に実家とか親戚とか、亡くした子の兄弟姉妹、配偶者とか家族関係が続いて次に医師も出てきます。この誰が助けになったかということについて、それぞれの方にも答えていただきましょう(中略)。

【長澤】このアンケートの方で、どんな人との関係が助けになったかという答えに関して紹介させていただきましたが、次にあるのが今後どのような方とコミュニケーションをとっていきたいですか?という質問に対して答えていただいた回答もこのように、「闘病仲間の親」というのが多いんですね。「親の会」が2番目に入ってきてるんですが、ある意味同じところがあると思います。最初の質問の回答を反映していると思いますが、「近隣の知人・友人」というのはまったく少ないですね。そういう構造なんだということがよくわかります。

【長澤】最後の皆さんへの質問になるんですけれど、そういうことを踏まえてきて、闘病の体験から今後こういうふうにしていきたいということも出てきているように思いますので、そういう使命感というと大げさかもしれませんが。私の記憶では、安道さんの話で、当初安井さんの子どもさんが亡くなって、闘病仲間の子どもたちも次々と亡くなっていくなかで、安道さんのお子さんはその時まだ生きておられたんですが、そのような現状を目にして「私は必ず何かする」と!何をするかは分からないけれども、そう思ったということを聞きました。それが亡くなってからの安井さんとの話のなかで回顧録を作ろうとかそういう話しに繋がっていったんじゃないかと思います。やりたいことやってみようということが膨らんでいって、最終的にいまのエスビューローの姿につながってきたと思います。そこでエスビューローの原点になる使命感のようなものが、その時点で安道さんの中に芽生えたんじゃないかと思います。それと似たようなことはあるでしょうか?

・・・(中略)・・・

【長澤】そろそろまとめに入ります。このアンケートを5年ぶりに整理していながら気づいたことは、特に葬儀関係に象徴的に現れているんですが、葬儀というものは地縁とか血縁を中心に行われるケースが多いですね。そこにはいろいろなしきたりとか慣習とかが存在して、年老いたご両親が亡くなった場合には、納得できなくてもそんなものだ!と割り切って受け入れられるんじゃないかと思います。ところが自分の子どもが亡くなったような場合に、同じやり方をそこに当て嵌めると、なんでこういうことをするんだろう?と、「納骨しないと成仏できない」なんて言われると「じゃあ、成仏って何よ」というようなことが頭をもたげます。先ほど多田羅先生の話のなかでイギリスの子どものホスピスの話がありました。子どもさんは亡くなったらそこでしばらくの間、同じ闘病を共にした医療スタッフとボランティアやNPOのような人たちも親御さんと一緒に時間を過ごせるということでした。それすごくいいなって、エスビューローのなかでは思っています。

だから、地縁、血縁ではなくて闘病縁かなと。今回のアンケートの結果が示しているのも地縁というのは近隣の知人友人や自治会の方とかになりますし、血縁というと親戚の方ということなんですが、むしろその人たちのしきたり的なところがストレスになっていて、癒されるのはむしろ闘病仲間であったり、ドクターであったり、ナースであったり、コメディカルの方であったりします。闘病中はそれが機能していますが、ところが喪失ということが起こり、病院を出された瞬間、地縁血縁の世界に戻ってしまいます。そこまでは闘病のプロセスを一緒に、戦友のように一緒に戦ってきていた仲間と、病院を出た瞬間切り離されて、医療関係者の方も葬儀とかに出られない方も多いと思われますので、闘病縁が切れてしまって、地縁、血縁の世界に放り込まれるというのが大きなストレスになっているということです。

さっきの話にもあったように、同じ体験をした仲間同士だからこそ心の底から笑えたりだとか、それがおのずと癒しになっているというような構造なのかなと思いました。

 エスビューローとしてできることは、コミュニティを作っていくことだと思います。ミッションはコミュニケーション&コミュニティというふうに表現しておりますが、当事者だからできることということでコミュニティづくりを重視していきたい。

図_x0020_47そのような場を設けることがサポートのきっかけになるのではないかと思います。今年度は3月までに2回ぐらい集まる機会を考えています。しかし山本さんが高知から広内さんが東京から来られていますがなかなか遠くて集まれない人も会うことができないかということで、構想しているのが喪失家族のコミュニティということで「ネットでBコミュニティ」というものです。

BはビリーブメントのBです。テレビ会議システムを使って遠隔地でも会議に入れる方式です。先日リハーサルをしましたので、これをご覧いただいて今後の予告編といたします。

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